長野ワイン徒然記

日本全国100箇所以上のワイナリー訪問歴のあるソムリエが、長野のワイン産地やワインメーカーについて色々書くブログです。

永久保存版!レジェンドが語る「善光寺ぶどう」

長野県の龍眼と言えば、

マンズワイン

 

当時のマンズワイン社長が

龍眼を見つけなければ

絶滅していたかもしれない。

 

そのようなきっかけから

今までの流れ、

また今後についての可能性を、

マンズワイン常任顧問

松本信彦氏に伺いました。

 

今回の記事はマンズワインさんのチェック&承認済。

当たり前のお話ですが、無断転記や商用利用はお控えください。

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龍眼は明治初期に中国から生食用として日本国内(長野市内)に入ってきた品種。

甲州同様、実は薄紫色。

形に関しては甲州は縦に長くなる一方、龍眼は横に広がる。

龍眼と甲州

甲州(左)と龍眼(右)

 

今でもよく聞く善光寺ぶどう」という名前は、地元の人たちが呼んでいた、いわば俗称。

しかし、松本さんはお話中、終始「善光寺」と呼んでいたことから、ここではその想いを大事に、あえて長野県内の龍眼を「善光寺」と表記する。

 

善光寺は長野県内で広く栽培されていたものの、1960年代頃には他の生食用ぶどうに押されて絶滅寸前の状態。

善光寺は栽培場所が寒冷地・長野県であることもあり、生食用にしては酸が強すぎるため甲州と比べても生で食べるなら甲州の方が美味しいという評価に。

(松本さんは、そんな善光寺vs甲州の図式を「川中島の戦い」と表現する場面も)

 

そんな中、1967年、当時のマンズワイン社長でキッコー食品工業(現日本デルモンテ)社長も兼務していた茂木七左衛門氏が、新しい加工用トマトの契約栽培地を探していた際、善光寺(お寺)近くの民家で濃紫色の大きなぶどうを見つけたのが始まり。

 

当時酒の神様と呼ばれていた東大の坂口謹一郎氏に尋ねたところ、「善光寺葡萄だろう」とのこと。

「良いワインができるかもしれない」ということで試験醸造開始。

1969年に初の龍眼ワインが完成

当時、周辺のワイナリーは酸化気味のべっこう飴色をしたワインが主流だったが、マンズワインではドイツ帰りの醸造士達により本場のワイン造りを伝授されていたため、当時の日本国内では珍しいフレッシュ&フルーティな善光寺のワインができたのだそう。

 

本格的な善光寺のワイン造りを始めるためには、まず原料の確保、ということで、1972年に上田市塩田地区にて善光寺の契約栽培開始。

その後も続々と長野県内各地で契約栽培が開始される。

場所は小諸市大里地区(ワイナリー周辺)、安曇野の三郷、長野市若穂地区、塩尻市など。

善光寺への転換が急速に広まった背景としては、その頃が米の減反政策が本格的に始まった頃だったから、とも言える。

 

そして1973年、"善光寺を醸すためのワイナリー"として、マンズワイン小諸ワイナリーが設立され早速醸造開始。

※中国から龍眼を輸入し比較醸造もしたそう

 

長野ならではの品種として売り出し、1976年には「Manns Zenkoji 1975」がブルガリアの国際ワインコンクールで金賞を受けるといった功績はありながらも、甲州ほど知名度のない善光寺のワインは正直売りにくい部分もあった。

 

松本さんご自身も1978年にフランスから帰国しすぐに小諸で善光寺を仕込む。

過去にはブランデーにしたり(現在1986ヴィンテージが発売中)、ブラッシュにしたり(1980年代)、ぶどうを干して甘口にしたり(2007)、様々な造りを試した。

※ブランデー用の蒸留器も、乾燥用のハウスも、残念ながら今は残っていない

 

しかし、そのような中、善光寺栽培は再び転換期をむかえる。

1981年から小諸市大里地区周辺あたりで欧州系ぶどうの栽培も開始される中、1988年の記録的な大雪により大部分のぶどう棚(善光寺)が崩壊。それが欧州系ぶどうへの大きな転換期になったそう。

 

その後、2007〜8年に上田市小諸市以外の善光寺の契約を終了。

現在、上田市塩田と小諸に約140aの契約栽培畑のみ。最盛期の5%程度に。

※1983年は80ha

 

栽培面積減少の理由の一つは契約栽培者達の高齢化

高齢で続けられない畑を自社管理に転換するのはどうか?との問いに対し、松本さんは「正直難しい」とのこと。

理由は、今続いている仕立て(棚X字)が複雑で管理できる人がほぼいないから。

もちろん、一文字やH字の仕立てなら可能。山梨の甲州畑では実際にその仕立てで自社管理をしている畑があるが、今の善光寺畑はまだ難しいのだそう。

 

また、誰もが気になる質問善光寺はなぜ小諸で仕込まないのか?」も尋ねてみた。

せっかく長野独自の品種であっても、今のような勝沼での醸造となると、現状では「長野ワイン」を名乗れないのである。

それに対し松本さんは「善光寺はやや糖度が低く酸が高いのが特徴なのでスティルワインよりスパークリングワインに向いていると思っており、シャルマン方式で造るのに必要な加圧タンクがある勝沼醸造することとなったのも一つの理由です。」

 

個人的にはマンズワインの製造方針が変更され、小諸ワイナリーでスティルワインか製造されるようになり、ソラリス醸造責任者 西畑徹平氏がどのような構想の下善光寺ワインを造ってくれるのか期待は膨らむものの、そのためにはまず善光寺自体の更なる品質向上と価値の向上の必要があるのかもしれない。

 

それは栽培技術向上によって、か、それとも長野県が主導となり進めているOIV登録などの"価値"の向上か、その両方か。

長野ワイン独自の品種として、引き続き注目していきたい。